右膝のおさら(膝蓋骨)が割れて…

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★ 右膝のおさらが割れて、以来オフィスを休んでいます



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久しぶりにメール・ニュースを出しました。

(24日に携帯アドレスでご登録の方々、25日にPCアドレスでご登録の方々へ。

そしてこのブログは、そのメール・ニュースのリライトです。

内容は3つともほぼ同じですが、文章は一部変更を加えています。)

本当に長い間のご無沙汰で申し訳ないことでした。

実は、義母の49日も済まない内に、私自身のからだが大変な事になっていたのです。


★ 9月に右膝のおさら(膝蓋骨)が割れてしまったのです。   

   以来オフィスを休んでいます。

最近ご連絡下さったクライアントさん達にはこの骨折の事をお話ししましたが、何故そうなったのか、事の顛末を詳しく書いてみます。

9月20日(日)の事でした。

もう2か月も前になるのですが、昨日の事の様にくっきりと覚えています。

骨折の痛みの激しさを知っただけではなく、多くの親切な人々と出会って[世の中まだまだ捨てたもんじゃないな。]という事に感じ入った日でもありましたから。

その日の午前中、横浜市である横浜動作法研究会の会場へ行くために船橋駅で快速に乗り換えようとしていました。

ホームへのエスカレータを上がりきった時、丁度グリーン車が目の前にきたので、普通車の入り口へ行こうとして人込みを避けながらホームを走り出した途端、足元の何かに足をつっ掛けて転んでしまったのです。

あっと思った時には、両手を前に挙げてすっ飛ぶような形で倒れていました。

今その姿を思い浮かべると、「むささびか?」と笑えてくるのですが、その直後は、息が止まるほどの激痛を右膝に感じて暫くは立ち上がれませんでした。

でも、回りの視線への恥ずかしさと早く電車に乗らなきゃ、という思いから必死で立ち上がろうと両手に力を入れました。

その時、親切な方が「大丈夫?どうするの?電車に乗るの?」と声を掛けて下さいました。

その方の顔を見る余裕もなく、ただ声だけで「はい、乗ります。」と答え、その方に手伝って貰いながら、とにかくその時は電車に乗ってグリーン車の階段に座り込みました。

何しろ外傷が見えないので、時間が経てばつまり品川辺りまで行くうちに治るだろうと軽く考えてしまい、[乗らなきゃ、電車が出ちゃう。]という思いだけに捕われていたのです。

人って経験したことのない突然の出来事に関しては、正しい判断ができないものなのですね。(それとも、私だけ?ーだいたひかるのパクリ?)

転んでコンクリートに膝をぶつけると骨がどうなるか、ということをそれまでに骨折の経験が無かった私は、判っていなかったのです。

そして電車に乗ったは良いけれど、時間が経つにつれ右膝の痛みは軽くなる、どころか益々強くなって、少しでも動かそうとすると耐えられないほどの激痛が走ります。

だから暫くは、グリーン車の入口に座り込んで唸っていました。

でも次の駅で電車が駅に止まって乗客が入ってきましたので、乗客の邪魔になると感じて、激痛に耐えて立ち上がり足を引きずりつつも一車両隣の普通車の方へ移動しました。

最初からグリーン車に乗リ込んで普通車に移動していたら走る必要もなかったのに…ね~(笑)

扉を開けて普通車に入ると直ぐに、優先席に座っていた中年の女性が私の只ならぬ様子に気付いて下さって直ぐに席を替わって下さいました。

そうやって席に座っていても痛みはどんどん強くなっていきました。

背を曲げて膝を押さえる私の様子に、事態を察して下さったのでしょう。 先ほどの女性が「病院に行った方が良いですよ。」と声をかけて下さいました。

ひょっとしたら、私が転んだところを見た方なのかもしれないし、電車に乗るのを助けて下さった方かもしれません。

私もそのころには、[時間が経てば…なんてものじゃない、例えそのまま会 場に辿り着けても逆に皆さんに迷惑をかけるだろう。この痛みは只事ではない。骨折かもしれない。]と感じていましたので「はい。そうですね。」と答えました。

そして錦糸町に着いたとき、船橋に引き返して駅で救急車を呼んで貰おうと考えて、立ち上がりました。

錦糸町で救急車に乗ると、その辺りの病院に運ばれて、後で家族が困ると思ったのです。

幸い、その親切な女性も同じ駅で降りるところでした。

そして私の意図を感じて「私は急がないから…。」と肩を貸して下さり、同じホームの反対車線側まで連れて行って下さいました。

運良く、丁度そこへ来た船橋方面行の快速が着いてそれに乗りこむと、やはり様子を察してさりげなく席を替わって下さる方がありました。

こんな風にその日の私は、転んで酷い目に合いながらも、次々に親切な方々に助けられて行きました。

船橋駅に着いて足を引きずっていると、またまた親切な若い男性が「大丈夫ですか?歩けますか?」と声を掛けて手を貸して下さいました。

そこで駅のコーヒーショップの壁に寄り掛かりながら「ありがとうございます。転んで足を痛めてしまって…。駅員さんに救急車を呼んで貰おうと思うんですけど…。」と言うと、「じゃ、直ぐ呼んできますから、ここに居て下さい。」と駅員さんを呼びに行って下さいました。

駅員さんを待っている間にも、通りかかったご夫婦の方が「大丈夫?」と声を掛けて下さり、私の事情を聞くと、「あそこの椅子に掛けて座っていたら?」とまた肩を貸してホームの椅子に座らせて下さいました。

程なく、例の男性が連れてきて下さった駅員さんが車いすで駅の一室に連れて行って下さって救急車を呼んで下さいました。

こうして私は、心優しい人々に助けられながら生まれて初めて救急車に乗りましたが、日曜日のこととて受け入れてくれる病院がなかなか見付からず、携帯で夫に連絡を取ったりしながら1時間位救急車の中で過ごしたのでした。

受け入れ先を待つって不安なものですね。

結局、船橋では受け入れてくれる病院が見つからずに、京成津田沼駅近くの病院に受け入れて貰ったころには午後2時を回っていました。

検査の結果、右膝のお皿が3つに(お医者さん曰わく、メルセデスベンツのマーク状に)割れているという事が判りました。

即入院、ということになりましたが、その日の担当医師は非常勤でしたので、手術をするかどうかは、次の日に常勤の医師が来てから決めることになりました。

でも次の日、常勤の医師から手術をしなければ退院できるまでに3~4か月掛かるけれど、手術をすれば術後10日位で退院できると聞いて、やはり手術をお願いすることにしました。

この時、退院=次の日から仕事に復帰、とマタマタ甘く考えてしまいました。

この甘さ故、後々一部のクライアントさんへの連絡で復帰への見通しを二転三転させることになり、ご迷惑をおかけすることになってしいました。

本当に申し訳ない事でした。

しかも骨折したその日は、丁度9月の7日連休が始まったばかりでしたので、手術待ちの患者さんいて、結局実際の手術は9日後の29日まで伸びてしまいました。

手術は、3つに割れた膝の皿をくっ付けて固定する為に金属製の長いピン(多分キルシュナー鋼線)を2本縦に刺し、そのピンがずれないようにワイヤで8の字に締めてピンの先をそのワイヤに引っ掛ける、そして更に太めのボルトを横に入れる、というやり方で行われました。

手術前の9日間も辛かったけれど、術後の痛みも相当辛かったです。

骨折して一番やっかいな事は、何だと思いますか?

人はトイレへ行かなければならない、という事です!  (これをどう処理したのか、いずれまた…)

手術の翌々日からはリハビリを始めました。

でも最初に医師に言われたのとは異なり、術後10日では退院できずに17日目にやっと退院できました。

リハビリを始めて判ったのですが、退院しても直ぐに仕事、なんてとんでもない事でした。

そしてその後どうなったのか…、そこまで書くと長くなりますので今日は ここでやめておきますね。

その後の出来事で、メール・ニュースでお知らせするほどでもないと思う事は、後日ブログの方へ闘病日記としてアップします。

アップしたらお知らせしますので、興味のある方はブログをご覧になって下さいね。

ただ、オフィスを再開するときには、その旨メール・ニュースでお知らせします。


P.S. 

最近“Twitter”(ツイッター)を始めました。

「今、何してる?」「**してる。」のノリで、140文字以内の言葉で自分の行動や気持ちをつぶやく投稿サイトです。 http://twitter.com/

携帯からも気軽に思いついた時に書けるし、世界中の人と友達になれるチャンスがあります。

(ちなみに日本の有名人やアメリカ大統領もやっていて、大統領選挙での呼びかけが大きな力を発したと言われています。)

もしこの“Twitter”やっている方がありましたら、フォローしてみて下さい。

私のサイトは http://twitter.com/smile_keiko です。

フォローするときに、「♪リッスン+♪のメールメンバーです。」と書いて下されば、必ず、私もフォローします。

(メールメンバーで無い方は、先ずメールメンバーになって下さいね。

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そうするとダイレクトにお話ができるようになります。

じゃ、宜しく!


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編集後記

この事故に遭ったことは、悪いことばかりではありませんでした。

今の世の中にも他人の痛みを見過ごさない親切な人がまだまだ沢山いらっしゃるということが分かったからです。

お陰で、本当に助かりました。

最初に助けて下さった女性や駅員さんを呼んで下さった男性には、お名前を聞く余裕もなかったのですが、椅子に座らせて下さったご夫婦にはお名前を

聞こうとしましたが、「いや、そんなことは良いですから。」と教えて頂け
ませんでした。

後で、私の手を煩わせるのを避けようとなさったのでしょう。 私も、お言葉に甘えて「ありがとうございます。」と言葉での御礼だけにしました。 忙しい日々の中、先を急いで見知らぬ他人の不幸には知らぬ顔の人が多いと思っていたのに、こんなにも他人の異常事態に気付き、足を止めて助けて下さる方々がまだ多くいらっしゃるのです。

この事は、自分自身を振り返る機会にもなりました。

[もし私がその方々の立場だったら、見過ごさないでいられただろうか?]と普段の自分の行動を振り返ってみた時、立ち去る側にいたかもしれないと思い当たりました。

かの人々より年だけは重ねているのに、大人の行動を取れなかったかもしれない自分の至らなさを感じて恥ずかしくもなったのです。

今後は彼らの行動を見習って、大人としての自分の成長のプラス(糧)にし たいと思います。

そして、もう二度とホームで走らないぞ!(笑)


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